俺は物心ついた頃、とても鈍感だった。
人の心には興味がなく、パズルと本ばかり楽しんでいた。
しかし、忘れもしない小学校1年生の時、
友だちから「俺お前のこと嫌いだよ」
と言われたのをきっかけに、
人に嫌われる可能性があることを知った。
それでとにかく「嫌われないようにしよう」
とだけ考えるようにした。
その結果、頼まれたら断らないこと
悪口を言わないこと
怒らないこと
清潔にすること
などを死守することにした。
しかし、中学校になってから無性に死にたくなった。
死にたいといっても特定の原因があったわけではない。
漠然とその思いが頭を占領していた。
今思えば、それは女性とうまく話せないことや、
人に嫌われないために仮面を付けることへの
ストレスが溜まったせいだったのかもしれない。
俺は小学校4年生の頃から空想にふける事が多かった。
主に入浴時、2時間でも3時間でも考えていて
家族を困らせていた。
そうしている間に思い至った。
「気を遣っていても嫌われることくらいある」
気を遣われることが嫌いな人だっているからだ。
そうして物事を抽象的に考えたり極端に考えたりすることで
答えを導き出すのがのぐらの哲学手法だった。
それから、あんまり気を遣うことに気を使わなくなった。
先述死守する内容は変えなかったのだが
とりあえず嫌われることに怯えなくなった。
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